石破茂首相退陣に伴う自公新政権の行方はどうなるのか。農政面では9月末までの「小泉農政劇場」約130日の功罪も問われなければならない。10月は揺れ動く政局とともに、コメと牛乳の需給問題が重大局面を迎える。
写真=〈小泉農政劇場〉を読み解く「農業崩壊」「小泉進次郎と福田達夫「天地の防人」の三冊と筆者最新刊「激変!農政のゆくえ」
1年間で様変わり「期待」から「不安」へ
まさに「政治は一寸先は闇」である。ちょうど1年前、2024年10月の本稿「透視眼」に、石破新政権への期待を書いた。だが、いま石破首相退陣とともに、「期待」は「失望」と「先行き不安」に大きく変わった。
2025年も3カ月を切った。今年は農政面で「期待」と「希望」を抱いた。改正基本法制定と新たな基本計画策定、新酪肉近もスタート、食料安全保障再構築の基本装置が整った。
筆者の7月新著「激変!農政のゆくえ」で、中央畜産会の新年賀詞交歓会で森山裕会長(当時・自民党幹事長)の言葉を紹介した。「今年は農政転換の重大な年だ。政府中枢の石破茂首相、林芳正官房長官、江藤拓農相らはいずれも農相経験者と人を得ている。今やれなくて、いつやるのか」と、食料安全保障への万全の対策と関連予算の大幅獲得へ決意を述べたのだ。
一方で「自民党農林部会長として2015年前後の「官邸農政」を支えた小泉進次郎氏が5月21日に農相に就いた。今後の動向に注目したい」とも拙著で触れた。農政の行方は一気に「期待」から「不安」に転じた。
消費者目線“独眼竜“貫く
物事は2つのバランスをどうとるのかが大事だ。上と下、右と左、白と黒。農政も生産者と消費者視点の双方に配慮した対応が欠かせない。
だが、5月21日の電撃農相交代から始まった〈小泉農政劇場〉。9月末までの約130日間は消費者目線ばかりが前面に出た、筆者の出身地・みちのく仙台の武将、独眼竜政宗に例えれば〈独眼竜進次郎〉の印象が強い。
小泉氏は農相就任直後に政治決断を行う。江藤前農相の入札方針を転換し、国家的問題となった米価高騰を抑え込むため政府備蓄米を財政補てんの随意契約米として5キロ2000円でスーパー店頭など小売りに出し、一時的にコメ相場を冷やすことに成功し、消費者の期待を集めた。半面、農村にはこうした〈小泉農政劇場〉に不安が募る。テレビ受け、消費者受けのパフォーマンスばかりが目立ち、生産者視点が欠けていると感じたからだ。
米価には消費者米価と生産者米価の二つがある。備蓄米放出で需給緩和、民間在庫が積み上げれば、今後の生産者米価は急落の恐れもある。カリフォルニア米など輸入米増加も加わる。しかし、小泉氏は消費者米価ばかりに言及、まさに片方の視点、〈独眼竜〉を貫く。7月参院選でも、小泉農相は大都市部での人気は高いが、肝心の農水省所管の農村部では評判は高くなく、自民党からの農民票離反の一因となったともみられる。
発信力高い戦略家
44歳の若さで、今後とも政治の中央で活躍する小泉氏とはどんな人物なのか。10年前の安倍一強時代の〈悪夢〉、「官邸農政」時代に筆者が取材した実感を振り返りたい。
10年前の2015年10月27日自民党本部7階。自民農林合同会議に小泉氏は農林部会長として初めて出席した。開口一番「誰よりも農林の世界に詳しくない私が、農林部会長として、短期間で、TPP対策をまとめなければならない重責を重く受け止めている」と話したことをよく覚えている。当時34歳の若さ。「誰よりも詳しくない」とは殊勝だと思った。だがそれは見立てが甘かった。実際は先まで青写真を描く大変な戦略家で、進みだしたら後には引かない突進力とマスコミを味方にする発信力を備えていた。
一度、自民党の議員用エレベーターでたまたま小泉氏と一緒になった。名刺を出すと「論説委員ですか。新聞社の社論に影響を与える重要なポジションですね」と応じた。2016年9月5日夕方、全農改革に舵を切った小泉農林部会長は突然、JAグループ全国連の本拠地、東京・大手町のJAビルを訪ね、その後、当時の奥野長衛全中会長、全農の神出元一専務(後の理事長)と面談後、1階に現れ記者団とぶら下がり会見に応じ、「JAグルーと改革の方向で一致した」と強調し、翌日の新聞紙面を飾ることになる。まさに〈小泉農政劇場〉。全てが全農を事業改革加速に追い詰める戦略の一環である。
そして会見後、こう言いだしたのだ。「全農幹部はどんなところで仕事をしているのだ。役員室を見てみたい」と。それで筆者が案内役となり小泉氏と神出全農専務と3人でJAビルのエレベーターに乗り、30数階の全農に行く。その時の役員室受付嬢の驚いた顔が今でも思い浮かぶ。それはそうだろう。全農攻撃を強めている政治家本人が突然現れたのだから。これも自身の改革推進へ相手を威嚇・萎縮させる小泉流奇襲作戦とみた。
小泉氏を農林部会長に推挙したのは稲田朋美政調会長(当時)。菅官房長官の指示のもと、当時の自民農林族のドン・西川公也氏や吉川貴盛氏ら幹部が支えた。官僚では官邸人事で農水省の改革派・農協嫌いの奥原経営局長を事務次官に据える。全ては第2次安倍政権のアベノミクスの重要な柱、TPP加入で世界経済の成長戦略が絡む。異論を唱えた全中を農協法から外し脅威を弱め、次には全農改革などにも切り込む。農協の協力者だった西川氏は、手の平を返したように小泉氏の伴走者として農協改革を取り仕切る。やがて選挙で落選し政界を去る政治家だ。
この辺の「官邸農政」は次の三冊で深読みができる。旧知の日経編集委員で農業問題を継続取材してきた吉田忠則氏の「農業崩壊」、政治評論家・田崎史郎「小泉進次郎と福田達夫」、拙著「天地の防人」第6章「官邸農政と終焉アベノミクス」。このうち吉田氏の著書は小泉氏を持ち上げ過ぎだが、事象的に正確に書く。「小泉進次郎と福田達夫」は近未来の「小泉首相―福田官房長官」を重ねた対談だが、小泉氏の自己顕示欲と本音が出ている。「天地の防人」は「官邸農政」をTPP推進へ農業発展とは逆行する農協たたきの断面として描く。
〈進次郎カラー〉農水省幹部人事
巨大官僚機構・農水省で農相への電撃就任以降、130日に及ぶ〈小泉農政劇場〉が可能となったのは、「令和のコメ騒動」という農政失態とともに官僚人事の対応もある。
例年、通常国会が終わる6月末から7月初めは官僚幹部人事の時期と重なる。農水省にとっては、運悪くちょうど小泉氏の農相就任となった。結果、当初予想とは異なる配置となったとの見方が強い。農政改革礼賛の論調を続ける日本経済新聞は2025年7月1日付で「農水人事、小泉カラー濃く」「コメ政策に改革派起用」と書いた。
通常ある程度、事務次官、官房長、各局長など幹部人事は東大法学部出身者を軸としたキャリア官僚で入省年次などを考慮して決まる「予定調和」的な流れとなる。だが今回は次官、官房長など小泉カラーが出た。当初、やや気難しいともされる江藤前農相を支えた長井俊彦官房長の昇格が濃厚とみられていた。結果は、渡辺毅次官の留任、経営局長には小林大樹新事業・食品産業部長が昇格。渡辺氏はコメ価格高騰対策のチームトップで小泉農林部会長時代には政策課長、小林氏は小泉部会長時に農協改革を担当した経営局協同組織課長で政策課長も経験。当時、官邸人事で次官に就いた異能の官僚・奥原氏の下で業務をこなした。長井氏は官房長から、ほとんど経験のない畜産局長となった。
官房長から局長へ異動する場合、通常、次はない。奥原次官の時に、官房長から農村振興局長となった荒川隆氏は「官邸農政」に異を唱えた一人だ。当時の農協改革、生乳制度改革、卸売市場改革など一連の「官邸農政」改革を「奇妙な農政改革」として、自らは「まともな農水省OB」と称す。当事者としてなぜ省内で抵抗できなかったのかとの疑問は残る。ただ、強大な官邸権力には逆らえない実態があったことは想像できる。
昨秋、農業団体が恐れた幻の「進次郎政権」
石破政権誕生となった2024年秋の総裁選で、農業団体が最も恐れたシナリオは、国民的な人気も高い小泉進次郎政権の誕生だ。石破氏自身、「少し前まで決選投票は小泉氏と戦うことになるのではないか」と語っている。「透視眼」2024年9月号でも〈進次郎政権の組閣名簿〉にも触れた。
結局は、政策の稚拙さが露呈し失速した。幻となった「進次郎政権」で農業団体は何を懸念したのか。連呼した「聖域なき改革」に、10年前、2015年前後の安倍政権下での理不尽な「農政改革」「農協改革」「酪農制度改革」を重ね合わせたからだ。
官邸農政「2015年体制」全中外し、全農改革、生乳自由化
「2015年体制」当時、官房長官は農協嫌いの菅義偉氏、自民党は農林幹部・西川公也氏と小泉進次郎農林部会長が二人三脚となり、農水省は異例の菅官邸人事で経営局長から事務次官へ昇格する奥原正明氏が事務方トップ。農協つぶし、農協攻撃への政府・党の体制は整った。
TPP推進に反対した全中の農協法外し、全農の株式会社化検討、さらには現行指定団体制度廃止へと〈農政改悪〉は加速していく。改正畜安法は、系統外の自主流通生乳が50万トンに達し、今日の生乳需給調整に大きな支障を招き禍根を残している。「農業成長産業化」とされた全中の権限縮小、全農改革だが、農業衰退の流れは続く。官邸主導の農協改革が農業発展には何の関係もないことが明らかになっている。しかも〈農協改悪〉から10年、誰も責任を取らない。
〈農政劇場〉結局は「空洞」
10月下旬には新政権の布陣、党役員をはじめ、農林関係も役職が決まり臨時国会で補正予算の是非なども含め与野党論戦が再開する。130日の〈小泉農政劇場〉を振り返ると、果たして今後の農政に期待が持てるのか不安が募る。
小泉農相が唯一担った「コメ政策」についても、大きな課題の稲作産地の振興、具体的な需給安定策に言及せず、「コメ増産への転換」のみを連呼したに過ぎない。確かに大きな農政転換には違いない。だが政策の中身がない。空っぽなのだ。問題は需給緩和時のセーフティーネットの在り方。これが明らかにならない限り、生産者は安心して増産に踏み切らない。
その場合に、現行備蓄水準100万トンでは足りない。需給調整、不足時でも備蓄米を放出する運用変更を行ったからだ。
10月にはコメ作況が確定する。農政はコメばかりではない。生乳需給は「官邸農政」で実施された改正畜安法下で8月飲用価格値上げの影響、さらには不需要期への加工処理など一段と難しい対応が迫られる。新政権、新農相には、一刻も早い食料安全保障に資する農政転換の方向と実効制ある予算付けの具体化を求めたい。
(次回「透視眼」は2025年12月号)